明るく楽しく生きる方法

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明るく楽しく生きる方法

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2020/12/02 明るく楽しく生きる方法

どうやったらポジティブに生きられますか?

どうしたら自信って持てるんでしょうか?

好きなことをしたいのですが見つかりません。

そもそも何が楽しいのかわからないです。

 

一言で言えば、「根拠のない自信で動きましょう!」

 

これだけお伝えしたいです。

思いこみが重要です。

 

私は小学校からずっと、体育が苦手で、通信簿はいつも5段階評価の2相当でした。

さかあがり、跳び箱、できたことなし。

走るのも苦手。

まだ個人競技は自分ができないだけで済むけれど、球技など団体競技は他の人の足を引っ張るから本当に憂うつでした。

 

母方の親戚はスポーツ万能な人が多くて、うちの血筋にはあんたみたいな人はいない!といつもため息をつかれて、今から思えば運動自体が元々嫌いというわけではなかったけれど、結果として成績が奮わなかったことを常にけなされているうちに、運動自体も避けるようになっていました。

 

現在52歳。

いまだに苦手意識は抜けないけれど、健康のためには運動も必要ですし、気分転換にも体を動かしたいとも思います。

 

ここ10年以内に出会ったアウトドア趣味と運動。やめたものも含むと…

ヨガ、太極拳、トレーニングジム、釣り、乗馬

 

どれもこれも得意とは言い難いですが、学生時代に悪目立ちするほど運動音痴だった頃に比べれば、なんとかなっているレベルです。(笑)

 

一方で、私が通っていた幼稚園は、ちょっと変わった教育方針で、頭が柔らかいこの年齢の時に、漢字の読み、ことわざ、北原白秋、島崎藤村の詩など、かるたなどを使いながら遊びの中で教えてくれる園でした。

 

そのおかげで、小学校入学の頃には、書くのは無理でも常用漢字はほぼ読めたので、実にたくさんの本を読みました。

 

一人っ子の私は空想癖もあったので、文章を書くのも好きで、作文や読書感想文も大好きでした。

 

小学校3年生の頃には本気で物書きになるかもしれない…って思いこむほどでした。

 

運動音痴、運動が苦手という思いこみ。

文章を書くことが得意という思いこみ。

 

これらが私の人生にどういう影響を及ぼしたでしょうか?

 

まず運動に関しては、とにかく人前ですることはとことん嫌い続け、なるべく少人数でするもの。それも自分ができないことで他者に迷惑をかけることがないものを選び、ストレス解消のためにしていることで、誰からも評価されることでもないのに、恥をかくことを避けてきました。

 

最近思うのですが、もし小学生の頃に、私でも人並みにできそうな運動種目があったなら、ここまで苦手意識を持っていなかったのではないでしょうか?

 

それでも、昔の思考の癖が時々頭をもたげてきて、やっと慣れてきた乗馬でしたが、一つ上のクラスに上がった途端に、体力的にも技術的にも辛くなり、自分が辛いだけならいいですが、複数人で一定間隔で乗るので、自分都合で止まることもできないですし、そうなると辞めたくなります。

 

だけど、大人がお金を払ってやる趣味です。考えてみたら、楽しめる方法をインストラクターと探せばいいことです。別にオリンピック目指しているわけでもないですし。

 

文章を書くことが得意という思いこみについては、私に多くの原動力をくれています。こうしてブログを書くこともそうです。もちろん、物書きになるなどという大それたことは今は考えてもいませんが、書くことが好き。言葉で表現することが好きということは子供の頃のままです。

 

つまり、人間は、根拠のない自信で動くこともできれば、根拠のない自信喪失も起こしてしまうのです。

 

根拠ならあるよ。

だって、誰からも褒められたことがない。ずっと否定されてきたという人もおられるでしょう。

 

何人の人の評価ですか?

その評価基準は本当に全てを網羅したものですか?(例えば運動なら運動全般を指していますか?)

英語が苦手だから外国に行けない

数学が苦手だったから計算が苦手

そんなふうに決めつけていませんか?

 

これまで出会った全ての人の評価が厳しいものだったとしても、あなたの値打ちは他人が決めるものなのでしょうか?

 

私自身は自信があるわけでもポジティブなわけでもないですが、常にニュートラルな生き方をしています。

 

仕事面で同じやり方をしていても、うまくいくとき、行かない時、どちらもありますし、昔からのやり方にこだわるわけでもなく、目の前の人に役立つかどうか?それが全てなので、私の流派がどうとか?そういうことはどうでもいいことなのです。

 

このように物事をとらえると、コロナ禍の今、体調が悪ければ自重することも自然に判断できますし、プライベートの用事と仕事、どちらか一方を選択せねばならない時も、自分自身の心身のコンディションで予測を立て、その時良いと思う判断をするまでです。

 

休みを全く取らず、邁進したとしても、そのことで仕事のパフォーマンスが落ちても本末転倒な話です。

 

振り返ってみれば、カウンセラーとして起業して10年を過ぎて、昨年は夫の喪が明けない年に、学ぶ気力も湧かない時期に公認心理師試験を突破し、現在は、夫のことで医療訴訟の真っ只中でもあります。

 

今は回復しているものの、膀胱癌膀胱全摘後の母を引き取り、同居中。傍目には仲良し親子に見えると思いますが、非常に複雑な母娘関係です。

 

ただ、私は自分の人生が不幸であったと思うことは一度もありません。生かされているだけでも奇跡だし、この世に生を受けただけでも、凄いことです。

 

それをどう見るかも自分次第です。

 

夫が亡くなった時、こう思いました。

「なんで先に逝くの?この世に遺される方がずっとずっと酷い」

 

先に死んだ人が可哀想だと思うか?

遺された人の方が業が深いのか?

 

現在、お付き合いしている彼ともこの話を時々します。(彼も奥様と死別されたので)

 

「この世は夢まぼろし。束の間のこと」

 

あっけない別れを経験すれば、食事を一緒にするのもあと何回なのかなあ?って噛み締めつつです。元気であればこそ、お酒を飲みながら談笑することもできるのです。

 

必要なことを言葉にせず(感謝の言葉や謝罪、愛する気持ち)

要らないことばかり(強がり、不平不満)口にする

 

いい格好するのをやめたらどれだけ楽か?

 

運動音痴とバカにされるのが怖くていつの間にか運動全般、体を動かすことを嫌ってきたけど、実は運動好きなんですよね。それなら、やればいいんです。

 

仕事もおんなじです。

私は公認心理師の中でも、Gルートと言って、5年間の経過措置の期間は心理職に実際に就いている現任者に限っては厚労省の講習を受けたのちに、条件が満たされていれば、大学院卒の皆さんと一緒に受験できるという権利で受けさせていただきました。

 

このような国家資格ができるということは当時は思いもよらなかったですし、それを踏まえて学んできたわけではないですが、結果として、心理職に就いてから地道に学んできたことは役に立ちました。

 

おそらく、ニュートラルな生き方をする私は、今と違う仕事のやり方になったとしても、自分なりに自然に生きていくのだと思います。

 

何度も仕事をかえてきましたが、挫折したという意識は一度もなく、ただそういう波が来ていたから…というだけのことです。

 

人生の旅を続けていれば、また違う波が来るかもしれません。

なんか、こっちがいいような気がする…

 

そんなフワーッとした感覚に乗り続けるだけです。

 

毎日、自信にみなぎる人生?

そんな大層なものではないです。

 

うーん…どうしよう??

今日はやるべきか?やらざるべきか?

いや、今日は思い切ってプライベート優先か?

どっちが後悔しない?

よっしゃ、こっち!!

じゃあ、仕事の補填はどうやってやろう???

うん、これならなんとかなる!

 

そんな決断の連続です。

 

明日死んでも悔いがない生き方。

そんなふうに生きることが、明るく楽しく生きる方法の答えです。

 

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